商品 No. TAN-0331 | |
---|---|
銘 |
表: 雙龍子玉英 裏: -- |
姿 | 平造り庵棟、重ね厚く僅かに先反り付いた洗練味ある姿 |
国 | 陸奥国仙台 |
時代 | 江戸時代後期(文政から文久頃) |
刃長 |
9寸 7分 0厘 29.4 cm |
反り |
1分 0厘 0.3 cm |
元幅 |
9分 0厘 2.7 cm |
棟重 |
2分 3厘 0.7 cm |
鑑定書 | 保存刀剣 |
交付日 | 令和05年12月15日 |
都道府県 | 宮城県 |
交付日 | 昭和47年08月15日 |
鍛 | 柾目細かくよく練れる |
刃文 | 匂い口深い直ぐ湾れ、小沸付き沸筋入る |
帽子 | 直ぐ尖り気味に深く返る |
茎 | 生ぶ、化粧付筋違鑢 刃上栗尻 |
目くぎ孔 | 2 |
鎺 | 素銅地銀着せ祐乗鑢鎺 |
価格 | 予約済 |
玉英(たまひで)は、寛政四年(1792)仙台藩登米郡石森生まれ。雙龍子(そうりゅうし)と号す。初め父に従って鍛冶を学び、やがて武器の製作を志して同地の鉄砲鍛冶伊藤定信に手ほどきを受けた後、仙台藩お抱え鉄砲鍛冶である木田定義の門人となり鉄砲張り法を習得。鉄砲工銘は定則といい、「萬龍右衛門定則」と銘した火縄銃がある。さらには作刀に挑み、水心子正秀に学んだ一関藩の武広安英に入門して二年ほどで作刀技術を修め、師より「英」の一字を許され刀工銘を玉英と銘する。その後江戸に出て水心子正秀の高弟である大慶直胤の門人となり文政年間に帰国。文久二年(1862)70歳没。嫡子玉秀をはじめ多くの門人らを指導して鉄砲・刀剣の製作技術を伝えた。また、仙台藩工らの系譜などについて記した「表海鍛冶伝」や「和漢刀剣談」二冊の著書を残したことは特筆。本作は、精美に詰んだ柾目肌に、フワリとした深い匂い口の直ぐ湾れ刃文。魅力溢れる直胤門人雙龍子玉英の短刀。令和5年保存刀剣審査合格。 |