説明
: 加藤綱俊(長運斎初代)は寛政十年(1798)奥州米沢の加藤国秀次男でまた加藤綱英の実弟として生まれる。兄と共に出羽国米沢藩主上杉家の抱工となり、文政六年(1823)頃に出府して江戸麻布の上杉家中屋敷に住み鍛刀。水心子正秀に師事して長運斎と号す。安政元年(1854)長運斎を息子の是俊に譲り、晩年は長寿斎と改める。一派を築いて文久三年(1863)66歳没。備前伝丁子乱れの良作を遺し、当時備前伝の第一人者と称せられ、さらに津田助廣の濤欄写しを得意とし名を挙げた。本作は、玉焼が印象的な表裏刃文の揃う濤欄乱刃。天保十年(1839)綱俊41歳の会心作。棟所持銘の後藤則贇(のりよし)は、柔術および剣術の極意を著した「柔術修行目録(渋川時英著)」を写した天保十一年文献を遺す。拵の柄前は鮫皮でなく鉄地が被せられた武用本位の堅牢な青貝微塵塗鞘拵が付されている。2025年6月特別保存刀剣審査合格。