説明
: 祐光は横山喜十郎。文政三年(1820)江戸青山に生まれ刀鍛冶を志して祐定系の備前長船横山一門に学び横山姓を名乗り名を祐光と改めた。嘉永二年(1849)水戸藩工勝村徳勝の推薦で水戸藩工となり七人半扶持を給せられる。明治六年(1873)水戸八幡の屋敷にて54歳没。本作は安政六年(1859)横山祐光39歳壮齢期、水戸九代藩主の徳川斉昭公が海防の必要性を説き安政四年(1857)水戸城の西、白幡山に設けた武器製造所での作刀。鎮丸鍛(まるぎたえ・芯鉄を入れない無垢鍛え)で表裏掻き通しの棒樋を打樋(上から叩き締めた生ぶ樋であり後の掻き樋ではない)としている。古作を念頭に武用一辺倒に精魂込めた一振。特別保存刀剣。