説明
: 本作は銘字および刃文の形状から伯耆守信高(三代)と鑑せられる。信高(三代)は初銘「信照」。寛文五年(1665)伯耆守を受領。二代との共作合作があり、作風は初二代に似る。宝永四年(1676)76歳没。初代の信高は美濃国三阿弥系兼則の末で、永禄六年(1563)美濃国上有知(こうずち)に生まれ、天正二十年(1592)伯耆守を受領。初代政常と同様、慶長の初めに美濃国から尾張国清洲に移り、さらに慶長十五年(1587)名古屋城の完成と共に名古屋に移住。以来尾張藩工として代々尾張徳川家の藩工として仕えて幕末に及んでいる。信高家は美濃国から移住して来た数多くの関鍛冶(政常、氏房、秦光代、豊後正全など)の頭領格を得て、尾張関と呼ばれる系統の総代を代々務めた由緒ある家柄。銘は初代以下五代までみな伯耆守を受領し、「伯耆守藤原信高」と切ったものが多い。本作は、湾れ刃と箱互の目刃文を組んだ風格ある伯耆守信高(三代)の脇指。